一昨日、弓道
で大変お世話になった藤吾先生が
お亡くなりになりました。
享年101歳(3月生まれの先生でしたので正確には101歳と半年ですね)
私が弓を始めたのは、今から9年ほど前。
先生92歳くらいでしょうか。
初心者の私は、射場(弓を射る所)に立っても、的に中り(あたり)ません。
中るどころか、矢はどこに飛んでいくか分からないほど、へたくそで
周りからも「矢は的に中てるとばい。どこにでも当てよったら修理費のほうが
掛かるばい」なんて散々からかわれていました。
ある日、毎度のことながら私が放つ矢は、いっこうに的に中ってはくれませんでした。
藤吾先生も、いつものように椅子に腰かけられ
他の先生方とお話をされていました。
順番が回ってきて、私が射場に立ち弓を引くと
・・・初めて的に中ったんです。
「ポン」とも「パン」とも言い難い、矢が的に中った時の何とも心地良い音です。
その時。
椅子に腰かけられていた藤吾先生は、立ちあがって頭上で両手を叩いて
喜んでくださったのです。
まるで、ご自分の事のように、嬉しそうなお顔でニコニコして。
私の初中りの思い出は、藤吾先生の喜んでくださったあの笑顔とセットです。
あの時の先生の笑顔が今も忘れることが出来ません。
・・・・私が弓を引き続ける限り、あの時の先生を忘れることはありません。
あの感動が9年経ったいまも「弓を引きたい」と思える源なんだと思います。
藤吾先生。
先生の素敵な笑顔をもう見れないことが残念でなりません。
最期に先生の射が見てみたかったです。
何を言葉にしたらいいのか分からないくらい
悲しくって仕方ありません。
ただ一つ、先生に申し上げれるとするならば
先生、ありがとうございました。
長い間 お疲れ様でした。
で大変お世話になった藤吾先生がお亡くなりになりました。
享年101歳(3月生まれの先生でしたので正確には101歳と半年ですね)
私が弓を始めたのは、今から9年ほど前。
先生92歳くらいでしょうか。
初心者の私は、射場(弓を射る所)に立っても、的に中り(あたり)ません。
中るどころか、矢はどこに飛んでいくか分からないほど、へたくそで

周りからも「矢は的に中てるとばい。どこにでも当てよったら修理費のほうが
掛かるばい」なんて散々からかわれていました。
ある日、毎度のことながら私が放つ矢は、いっこうに的に中ってはくれませんでした。
藤吾先生も、いつものように椅子に腰かけられ
他の先生方とお話をされていました。
順番が回ってきて、私が射場に立ち弓を引くと
・・・初めて的に中ったんです。
「ポン」とも「パン」とも言い難い、矢が的に中った時の何とも心地良い音です。
その時。
椅子に腰かけられていた藤吾先生は、立ちあがって頭上で両手を叩いて
喜んでくださったのです。
まるで、ご自分の事のように、嬉しそうなお顔でニコニコして。
私の初中りの思い出は、藤吾先生の喜んでくださったあの笑顔とセットです。
あの時の先生の笑顔が今も忘れることが出来ません。
・・・・私が弓を引き続ける限り、あの時の先生を忘れることはありません。
あの感動が9年経ったいまも「弓を引きたい」と思える源なんだと思います。
藤吾先生。
先生の素敵な笑顔をもう見れないことが残念でなりません。
最期に先生の射が見てみたかったです。
何を言葉にしたらいいのか分からないくらい
悲しくって仕方ありません。
ただ一つ、先生に申し上げれるとするならば
先生、ありがとうございました。
長い間 お疲れ様でした。
幼かった頃の社宅の話を書いていて思い出しました。
当時、父が勤めていたのは某バス会社
私が5歳の時に退社し、博多区の社宅を出て父と母の地元の前原に帰ってきました。
退職後、父は個人タクシーの運転手として
家族を養ってくれたので、バス
の運転歴より
タクシーの運転歴のほうが断然長いのです
。
そんな父も今月75歳の誕生日を迎えます
。
今年、父は免許証の更新の年。
先日、更新の案内ハガキが届いてました
その中には、暗証番号4桁を2通り考えて来てください・・との文言が。
父にその事を伝えると間髪入れずに
「○○○○」と「****」にする
と父。
母と私には全く見覚えのない数字。
「なんの番号なん
覚えとかなんけん
思い付きの番号とかじゃない方が良いっちゃないと
」というと。
その「○○○○」は父が初めて担当したバスのナンバーで、
「****」は最後に担当したバスのナンバーだそうです。
バスを降りて、もう36〜7年経つはずなのに
父にとっては、忘れられない番号なんですね
昔話を家族でワイワイ言う時には、バスの話はするものの
自分からは、あまり話さない父の、
バスに対する想いを垣間見たようで、なんだか分からないけど
胸が熱くなりました。
当時、父が勤めていたのは某バス会社

私が5歳の時に退社し、博多区の社宅を出て父と母の地元の前原に帰ってきました。
退職後、父は個人タクシーの運転手として
家族を養ってくれたので、バス
の運転歴よりタクシーの運転歴のほうが断然長いのです
。そんな父も今月75歳の誕生日を迎えます
。今年、父は免許証の更新の年。
先日、更新の案内ハガキが届いてました

その中には、暗証番号4桁を2通り考えて来てください・・との文言が。
父にその事を伝えると間髪入れずに
「○○○○」と「****」にする
と父。母と私には全く見覚えのない数字。
「なんの番号なん
覚えとかなんけん思い付きの番号とかじゃない方が良いっちゃないと
」というと。その「○○○○」は父が初めて担当したバスのナンバーで、
「****」は最後に担当したバスのナンバーだそうです。
バスを降りて、もう36〜7年経つはずなのに
父にとっては、忘れられない番号なんですね

昔話を家族でワイワイ言う時には、バスの話はするものの
自分からは、あまり話さない父の、
バスに対する想いを垣間見たようで、なんだか分からないけど
胸が熱くなりました。

今日11月6日は「アパート記念日」だそうです。
どんな由来があるのか調べてみると
1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパートが完成しました。
東京・上野の「上野倶楽部」で、5階建て70室の木造アパートでした
と、いうことでした
。
5階建てで70部屋とは、今の建築法・消防法では到底認められない規模ですね。
どんな設備だったのか見てみたいです
私が小さい頃は、父が勤める会社の社宅(団地)に住んでいました。
中庭を囲むように数棟の建物が並び、その中庭で子供たちが遊び、
3時
頃になると、自転車
の荷台に
木の箱を乗せた「紙芝居」のおいちゃんがやって来て、
紙芝居を見せてくれた後に水アメをもらってたものです。
もう紙芝居おいちゃん、見かけないですよね。
まだ3歳くらいだったので、沢山の思い出はありませんが
数少ない幼いころの楽しかった思い出です。
どんな由来があるのか調べてみると
1910(明治43)年、東京・上野に日本初の木造アパートが完成しました。
東京・上野の「上野倶楽部」で、5階建て70室の木造アパートでした
と、いうことでした
。5階建てで70部屋とは、今の建築法・消防法では到底認められない規模ですね。
どんな設備だったのか見てみたいです

私が小さい頃は、父が勤める会社の社宅(団地)に住んでいました。
中庭を囲むように数棟の建物が並び、その中庭で子供たちが遊び、
3時
頃になると、自転車
の荷台に木の箱を乗せた「紙芝居」のおいちゃんがやって来て、
紙芝居を見せてくれた後に水アメをもらってたものです。

もう紙芝居おいちゃん、見かけないですよね。
まだ3歳くらいだったので、沢山の思い出はありませんが
数少ない幼いころの楽しかった思い出です。

天気予報では、今日からすごく寒くなると言っていたので
覚悟はしてたものの、予想以上に寒いです
一気に冬到来
って感じです。
数日前から腎盂炎の為、高熱に悩まされています
熱が出る前の症状は、まずは手先が痺れたように冷たくなってきて
激しい悪寒に襲われ、ガタガタ震えが止まらなくなる。
(震えながら解熱剤を取り出してるサマは、かなり怪しいですが
)
そして・・38〜39度の熱に・・・のお決まりコース。
でも、今朝の6時に38.5度の熱が出て、解熱剤を飲んだっきり
今のところ大丈夫です。
ガッ
今また指先が冷たく、プチ悪寒。
寒さのせいか・はたまた発熱の前兆なのか・・・・。
ビミョーに分からなくなってる昨今です。
覚悟はしてたものの、予想以上に寒いです

一気に冬到来
って感じです。数日前から腎盂炎の為、高熱に悩まされています

熱が出る前の症状は、まずは手先が痺れたように冷たくなってきて
激しい悪寒に襲われ、ガタガタ震えが止まらなくなる。
(震えながら解熱剤を取り出してるサマは、かなり怪しいですが
)そして・・38〜39度の熱に・・・のお決まりコース。
でも、今朝の6時に38.5度の熱が出て、解熱剤を飲んだっきり
今のところ大丈夫です。
ガッ
今また指先が冷たく、プチ悪寒。寒さのせいか・はたまた発熱の前兆なのか・・・・。
ビミョーに分からなくなってる昨今です。
ここ数日、私用で慌ただしく精神的にも・肉体的にもへヘトヘト状態
とうとう、昨日病院へ行ってきました
診断結果は「腎盂炎」でした
(高熱が・・なかなか下がってくれません
厄介やわぁ)
食欲もなく・・・1日6〜7杯飲んでたコーヒー
すら飲みたくなくって
ひたすらお水。病気が病気なだけに、水が一番なんだそうですが
そんな時、唯一「これが食べたい
」と思えたのが
母が作る「茶碗蒸し」
さっそく母に
して「ごめん・・・茶碗蒸し作って。
お母さんの茶碗蒸しが食べたいっちゃん
」って言えば
「そんくらいなら何時でも作っちゃーよ、なんでもっと早く言わんかったね」と母。
有難いものです。
お金さえ出せば、美味しいものなんていくらでも食べられる時代。
でも、お金を出しても食べられないものもある。
まして自分が弱ってるときに恋しくなるのは、やっぱり母の味。
親の有難さが身にしみます。

とうとう、昨日病院へ行ってきました

診断結果は「腎盂炎」でした

(高熱が・・なかなか下がってくれません
厄介やわぁ)食欲もなく・・・1日6〜7杯飲んでたコーヒー
すら飲みたくなくってひたすらお水。病気が病気なだけに、水が一番なんだそうですが

そんな時、唯一「これが食べたい
」と思えたのが母が作る「茶碗蒸し」
さっそく母に
して「ごめん・・・茶碗蒸し作って。お母さんの茶碗蒸しが食べたいっちゃん
」って言えば「そんくらいなら何時でも作っちゃーよ、なんでもっと早く言わんかったね」と母。
有難いものです。
お金さえ出せば、美味しいものなんていくらでも食べられる時代。
でも、お金を出しても食べられないものもある。
まして自分が弱ってるときに恋しくなるのは、やっぱり母の味。
親の有難さが身にしみます。




